| 管理人のプロフィール |
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名前とか 社会的には「阿部隆人」と呼ばれております。「あべ」には何通りもの表記があるようですが、「安部」や「阿倍」などと誤記されない様お願いします。掲示板では「abe」と名乗っております。ただし、古いログでは「阿部@家主」となっております。 その他月並みなプロフィールはこちらで。 シンセサイザーな歩み
1960年生まれの私にとって、シンセサイザーの音自体は、恐らく物心がついた頃から聴いていはずだが、シンセサイザーの存在を強く意識し始めたのは1972年頃の「ポップコーン」が流行ったときである。そして、レコードのライナーノーツを読んでその音楽はモーグ・シンセサイザーという楽器で作られていることを知る。 以来、シンセサイザーというものの存在が非常に気になるようになったが、何しろ情報が非常に乏しい。音楽系の雑誌などでたまに見かける記述も、「1千万円もする」「音を出すのに何時間もかかる」などといった表面的なものばかりで、なかなか核心に迫る情報を得ることができなかった。
1974年頃になると、シンセサイザーを使った音楽を耳にする機会も増え始めた。FM放送の洋楽番組ではシンセサイザーを使ったプログレッシブ・ロックが盛んに紹介され、クラシック番組でもワルター・カーロスやハンス・ウールマンの作品が紹介されるのを耳にするようになった。
そんな中、私の心を強く捉えたものは、冨田勲の「展覧会の絵」である。他のシンセサイザー音楽は、とりあえず機材が一式あれば誰でもできるだろうと思わせるものが多かったが、氏の作品については、まだシンセサイザーを触ったことがなかった私にも、凡人が容易に真似できない緻密なものであることは想像できた。同じモーグ・シンセサイザーを使っても、これほど違う音になるのは、それを使う人間のイマジネーションに委ねる部分が大きいのだということを実感。これは、後に私がオーケストレーションに強い関心を抱くきっかけにもなる。 この出来事を境に、私の音楽との関わり方は大きく変わった。幼少の頃からピアノを習っていたため、周囲の人よりは多少音楽に詳しいという程度の自覚はあったが、それが凄く狭い世界のものに思えて仕方なかった。音楽はもっと広く深い世界であろうことを想像する一方、周囲には和声学の概念すらわかる人もいなくて、満たされない知的欲求のやり場に不自由を感じていた。そのようなハングリーな環境であることが自分自身を刺激し、音楽大学で勉強する以外に自分の道はないと考えるようになった。
シンセサイザーと言えば、当初よりモーグのモジュラー型しか眼中になかったため、中学生の私には雲の上の存在でしかなかったが、この時期に出たコルグ800DVにには心を奪われた。何しろ価格が24万円である。中学生にも実感できる金額であった。しかも2系統内蔵。モジュラー指向の私にも、この同じものが2つ並んだフォルムは非常に魅力的だった。欲しくて仕方なかった。 しかし、自力で買える資金などなく、そのやりどころのないエネルギーは自作に向けられ、中学3年のときにはシンセサイザーもどきを作った(第1号機)。
高校生になり、音大受験一色の生活(通常の受験勉強のほかにピアノの練習も欠かせない)が始まったが、そんな折り、「初歩のラジオ」(誠文堂新光社)に山下春生氏によるシンセサイザーの製作記事の連載が始まる(1977年)。この時点でシンセサイザーを手に入れるためには作る以外に選択肢はなかったため、当然の帰結として作り始める。連載記事を参考に、自分なりに機能を拡張したのは言うまでもない。
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